白昼夢

のんびり色々なことを話しています

いつかの私へ

大好きなV6が2021年11月1日の26周年の日を持って解散という日を迎えました。

いつかの私に、11月1日を迎えた今の気持ちを残しておきたくて思っていることを書きます。

止まったままの、グレショーの考察はどうなってるんだというのは置いておいて(絶対に考察を続けます、なんなら他の作品も考察したい。特に『一番のサンキュウ!』は絶対に書きたい)、今日はちょっとだけ気持ちを残させてください。

 

 

2021年3月12日。

この日も準夜勤務をしていて、いつもより忙しかったような覚えはあるが、遅いながらも休憩に入った。

開いたLINEに【大変、V6が解散だよ】という母のメッセージが表示されていた。

“嘘だ”と思う反面、“この時が来てしまったんだ”という納得と半ば諦めに似た気持ちだった。

その日のTwitterで私はこう呟いている。

 

 

【変わらないものなんてないことを知っていて、それでも変わらないことを期待してしまっていたことに気がつかされた】

【私は約束のないいつかを待てるほど強くないから、この決断が救いかもしれない】

【どんな道を選んでも、6人の未来が明るく輝いていますように!!】

 

 

どうして、人間は永遠がないと知っていて、永遠を望んでしまうのだろう。

そして永遠に続くと思っているそこに他の人の人生があるにも関わらず、自分主体で考えてしまうのだろう。

それは完全に私の主観なので今は置いておくとして、このつぶやきにある通り私は物分かりの良いファンだったのは間違いない。

6人が決めたのなら、と納得した。いや、納得しようとしていた。

解散の話が話題にあがれば「これでよかったんです」と笑顔を作り続けた。

ここからだ、私が大好きなV6から逃げるようになったのは。

 

人間は死別などで大切な人を喪うと「悲嘆」を感じる。

人間は大きな悲しみである悲嘆に直面すると受け入れるまでに「悲嘆のプロセス」を辿ることとなるのだ。

「ショック期」「喪失期」「閉じこもり期」「再生期」の4つのプロセスを辿ることとなるのだが、ここはもし読んでくださっている方がいらっしゃったら、調べていただければ幸いです。

「逃げる」ということはこのプロセスを辿っているという正常な状態ではあったものの、逃げ続けることを選択した私は次のステップに進むことができないままだった。

 

仕事と大学院での研究とに追われていたと言い訳することもできるのだが、実際はそれだけではない。

「V6」という存在が当たり前すぎて、存在し続けると疑わなかった。

だからミュージカルやら舞台やら、ジャニーズのグループやらJrやらを推していた。

V6にかける時間が減っていたのは紛れもない事実だから、言い訳をすることはできない。

25周年の配信ライブは希望休を貰ってまで観たし、CDやDVDは初回から通常盤まで買っていた。出演するドラマもバラエティーも、なんなら朝のワイドショーまできっちり録画していた。

それでも、車で流す音楽のV6の割合は減っていたし、観る時間は昔よりも格段に減っていた。

言い訳が長くなってしまったが、とにかく「V6がなくなることはない」と信じて疑わなかった。

 

 

とにもかくにもこうして物分かりのいいフリをした私は、いつまで経ってもV6の解散と向き合おうとしなかった。

それが変わったのは、10月の怒涛の音楽番組ラッシュに入ってからだ。

遅すぎると言われるかもしれないけれど、そこまで私はV6から目を背け続けた。

「Full Circle」を改めて聞いて、解散を実感した。

このままではまずいと思った。

このままでは、最後の時間を一緒に過ごすことができないとそう思った。

そして解散を受け入れられなかった時間を取り返すように、ここ最近のCDやDVDを改めて視聴することにした。

 

 

そして迎えた11月1日。

配信ライブの幕が上がっても、まだ解散を信じられないまま。

それはステージに立つ6人が笑顔で終えようとしていたことがあったかもしれないし、やっぱりまだ信じたくないと思っていたからかもしれない。

でも、それが違うとわかったのは「分からないだらけ」の剛くんと健くんの歌を聞いたときだった。

なぜか涙が溢れた。そして止まらなくなった。止められなかった。

それからは涙は止まって、溢れてを繰り返した。

 

 

 

結局何が言いたいのかと言うと、書いている間にわからなくなってしまった。

時間を無駄にした自分への怒りか、はたまた事実を受け入れたふりをした自分への嘲りか、それすらもわからない。

ただ、私の中で “V6の解散”という事実が受容されたのは事実で、そしてやっぱりどこかで諦めきれないということなのかもしれない。

最後のメンバーひとりひとりのあいさつで、泣いてもいいとも言われたし、まだまだV6を愛していいと言われた。

今日のこの景色を最後にせずに、いつかまたこの景色を見たいと言ってくれた。

もし、その“いつか”が来るかもしれないと期待してもいいと思えてしまう。

それはもしかしたらただ救済を求めているだけかもしれないが、それでもいい。

5年後でも10年後でも、20年後でも、25年後でも、26年後でも。

のんびり待っていたいと今なら思う。

 

 

そして、V6のファンになってたくさんのご縁があった。

Twitterのフォロワーさんに会って、お話しをいっぱいして、中には直接お会いした方もいらっしゃって。

今でも仲良くしてくださる方もたくさんいらっしゃることは、本当にありがたいことだと思います。

 

 

結局、やっぱり何が言いたかったのか、自分でもよくわからなくなってしまったけれど、それでもどうしても書き残しておきたかったんです。

恥ずかしいような文章で、しかも何が言いたいかもわからない。

あまりの恥ずかしさにいつか消してしまいそうな長文ですが、最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、感謝しかありません。

本当にありがとうございます。

どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

 

 

泣きすぎてすでに目蓋が腫れぼったくて、起きるのが怖いなあ笑